あの空に何を描こうか

管理人の、ちょっとした小話を載せたり自分が撮った空の写真などを載せていたりするブログです。

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火曜日

今さっき、ほんのちょっと元カノにあった。

それで、冷静なる境地まで達したと思う自意識が、なんとなく揺るいでいる。

別れて以来、私は絶望よりもどちらかというと憤怒の気持ちを抱いている。

根源にあるのは、自分なりにも尽くしたのに別れを告げられるのかというのと
(おそらく、この尽くしすぎな部分が諸悪の根源だと思うのだが)

もし、欠点があるなら直すから教えて欲しかったと言うこと。

寧ろ、教えるべきだという表現の方が適切だろう。

私自身、人に対して怒りを感じるとき怒るよりも他人から何かを奪い

不幸のどん底にでも落ちてしまえ。と思う部分がある。

実際、隣人愛のような心をお持ちでない方の多くは経験したことがあると思うのである。

見込みが無いと分ると、やはり憤怒の気持ちは募るばかりである。

それで、以前から貸していた参考書(個人的にベストなチョイスだと思う物)を

今の時期に返してもらった。

不幸を思う気持ち、すなわち受験に失敗すれば良い。という所か。

貸していた参考書は、元カノ曰く、家庭の財政状況からみて自分の弟にでもあげて

家計の負担を軽くするつもりだったと。

だから、私の場合は二重の意味での「嫌がらせ」だった。

如何にも子供らしい、浅ましい考えだろう。

罪と罰で描かれている、罰というのはすなわち

「良心がある者は、あやまちを自覚したら、苦悩するでしょう。

これがその男に下される罰ですよ。苦役以外のね。」というものだ。

端的に言えば、罰というのは物質的な物ではなく精神的な物である。

それにしては、今回のこの子供じみた物質的な嫌がらせは何とも阿呆らしい。

いや、阿呆だろう。


それで、駅で渡して貰った時ふとそいつの隣に男が居た。

名前は知ってるし、あいつの性格から見て

よく居る男友達だろう。すなわち恋人というベクトルではなく遊び友達というベクトル。

そいつの存在が、何となく私に似ているのが異様に奇妙であった。

奇妙で不気味だ。

もちろん、そいつの個性など内面などを私が知るよしもない。

が、薄気味の悪い不気味さに包まれざるを得ない。

もし、受験が終わりその反動で付き合う人間がそいつだというならば

私としては不気味で不気味で仕方ないのだ。

しかし、そんな事を考えてもやはり阿呆らしい。

元カノが別れを切り出すキッカケとして「好きな人が出来た」と言ったが

私はあり得ないと決めて切り捨てた。

受験2ヶ月前に付き合う人間が居たとしたら、馬鹿としか言えない。

余計な邪心を心に入れることになり、平静を保てないしな。

しかし、もしそれが事実だとしたら

人間って何なんだ?

別れる5日前に接吻なりしてたのに、急にハサミで切れるものなのか?

それほど人間は動的で、霞のように掴めない存在なのか?

あいつだけが例外か?

いや、そうではない

自分も

またその例の一つなのだ。


以前、ここで今は朝と親しい女友達のAさんと通学していると書いた。

それも、ほとんど毎日。

それが始まったのもついこの1週間前。

高1・高2の間仲が良かったとは言え

この関係はいささか奇妙ではないか。

朝の通学だけではなく、今週の日曜日の午前のデートや

クリスマス(24日,25日)の約束まで取り付けた。

おかしい

おかしい。

たった一週間で、私は絶望から立ち直り一縷の希望でも見ているのか?

人間は、ここまで動的な生き物なのか?

もっと静的で、平和的な生き物ではなかったのか。

それでいて、もう少し過去を重視する存在ではないのか?

過去をまるで消しゴムで消して、真っ白の紙に黒いペンで

書き始めるこの感覚は、道徳的にあっては良いのだろうか。

もっと苦しめなければならない罰に立ち向かうべきではないのか。

絶望と喜びが混じった、この気持ちの悪い感情は一体何なんだ。

この状況下で、冷静に分析的に自分を見つめられるというのはあり得るのだろうか。

私の存在理由さえ、理想的な生き方さえ見えなくなりそうな

感情に今覆われている。

恐らく、この感情は生涯そう簡単に達することはできないだろう。

そう思うと、避けたいどころか逆に好奇心を持ってしまう。

知りたい、この漠然とした感情は一体何か。

私の心は一体何を感じているのか。

今までの概念が一気に崩れて、立てなおそうとしているのを

まるで人肌のような暖かさで感じるのだ。


何にせよ、元カノに執着するのは如何にも阿呆らしい考え

だという方向に纏まった。

他人の不幸を願うならば、私がこの残された時間で

努力を費やして良い会社、高給、幸せな家庭を目指すべきなのである。

少なくとも神が居るとするならば

神は絶望だけではなく次なる幸せへの布石もくださった。

その布石は今手の中にある。

いつも通りだが、こいつをどうにかするのも自分次第。
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